戦争体験集

小林八重さん(霞台・1921年生まれ)

2012年7月10日

k-yae

当時、私は軍需工場だった星川の古河電池に勤めていました。古河電池の工場は、5月29日の横浜大空襲の前に、かろうじて事務所を残し、空襲で丸焼けになりました。工場は、横須賀に移転して仕事を続けました。横須賀移転後にあった、5月29日の横浜大空襲の様子はわかりません。

勉強もせず、遠く親元を離れ、勤労動員させられた子どもたち。

古河電池の工場が空襲で丸焼けになる前、私の働いている工場に星川小学校から2~3年の子どもたちが挺身隊として仕事に来ていました。子どもたちは、学校の勉強もせず、毎日通って来ていました。

星川小学校の子どもだけでなく、新潟や北海道からも勤労動員と称して高等小学校(今の中学生)の子どもたちが、親元を離れて来ていました。

とくに、親元を離れ遠くから来ている子どもたちは夜になると 戦争の終わりの頃は、今日は生きていたけれども、明日はどうなるかわからない毎日でした。終戦のときは、命が助かったとほっとしました。これからも戦争を起こさせないよう頑張ります。

古河電池の挺身隊員などのことをご存知の方がいましたらご連絡下さい。お話を聞きたいと思います。ご協力を。

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