地下坑道

私の家の下が危ない(2)

2012年4月18日

川島小学校は明治8年に創立されました。1975年(昭和50)創立百周年を記念して発行された「創立百周年記念誌」に次のような記事が載っています。

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〝川島小学校百年の歩み〟
昭和24年(1949)8月31日のキティー台風の翌日から校庭の方々が陥没しはじめた。知らぬまに掘られた廃坑道の落盤から地上の校庭に大穴があき、校舎もいつ損壊するかもしれないという危険に直面し大きな問題となった。

そこで、建設省土木研究所谷口博士を中心に地質調査を行った。また、一方鹿島建設所員により詳細にわたる調査結果、校庭地下に広範な地下坑道を発見された。坑道のない部分は、教室11、校庭は五分の二に過ぎないことが判明した。

この埋め立て工事は、昭和25年4月17日より始めて、同年10月の末に完了した。(この坑道は、地下ビールビン原料として地下砂岩から採取するため掘られたものと言われているし、日華事変発生当時、軍のセメント用砂を採掘するために掘りぬいたものであるとも言われている。)

〝在任のころ〟
現在の新校舎に移転になるまでの経過を一寸ばかりお話をしてみたいと思います。旧校舎の校庭の下は昔ビール瓶の原料として砂を採取した為に穴だらけであった。調査の結果高層建築(鉄筋コンクリート)建物は危険が伴なう為に市の教育委員会より建築不可能とのことでそれがため他の土地を捜す外はないと言うことで色々と他の土地を捜した。〝陳情書〟(昭和44年10月10日 川島小学校PTAより横浜市教育委員会へ提出)

先刻承知のことと存じますが本校々庭には地下坑道が網目状に残存し、過去二度にわたり校庭が陥没した事例からも危険であると認定され、本校々地内での増築計画は断念全面移転用地として現在の川島分校の土地が定められました。

最近大地震の襲来が盛んに報道されており万一地震が発生し地下坑道の陥没より校舎が倒壊して多数の死傷者が出る場合も予想されます。

右の各種の事情を御覧察の上、早期に校舎を全面移転して戴き不安を解消していただくようここに陳情いたします。

00002仏向町・・番地付近の畑が陥没したことがあると聞いて現地を見に行きました。陥没した跡はわからなく整地されて畑として使用されています。付近の人の話では、幅約5メートル、長さ約10メートルの楕円形に陥没したと話していました。近くは墓地ですが、この下は穴があいているので家は立たないでしょうといっていました。

その他各地の地下坑道に関する話

  • 星川1丁目と神戸町及び桜ヶ丘の境付近の斜面、現在桜ヶ丘1丁目21番地や54番地付近には、1970年前後まで横穴が見えた。
  • 星川3丁目11番地付近、横浜新道の北側には穴が露出していた。
  • 川島町・・番地付近の斜面には今でも穴が露出している。
  • 仏向町・・番地付近の仏向団地したの斜面には今でも穴が露出している。
  • 日本硝子の跡地に保土ヶ谷スポーツセンターが建設される時、基礎工事が始まったら坑道が発見され、工期が大幅に遅れました。

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