名所めぐり

「121歳まで生きた上人の墓」今井町・金剛寺

2012年3月27日

思へ人 あたに過なは 百年も
只夢の間の たわふれそかし

これは江戸の文化文政時代、十四代の住職・祐尊上人の歌ですが、現代の私たちが読んでもなるほどと頷けます。上人は121歳まで生きたことで知られていますが、それはこの寺にある墓碑銘や亡くなる前年に、上人の弟子達がその来歴と人徳について記した木版刷りの「柏寿院祐尊上人百二十歳寿影記」(横浜市開港資料館所蔵)に書かれています。

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冒頭の歌は、この寿影記の下半分に上人の肖像とともに掲載され、本人の筆跡と思われる立派な筆づかいです。上人は宝永元年(1704年)江戸小川町朝比奈氏に生まれ、10歳で出家し高野山などで20余年留学。朝から夕まで内外の書物を学び、一方で書画をよくしすこぶる武技に通じていましたので僧侶を、また遠近を問わず人々が教えを乞いにやって来ました。

晩年になって都筑郡今井村金剛寺の住職となりましたが、風や直射日光を避けるだけの「方丈の室」(三米四方)に住んで読書と歌を詠むことを止めませんでした。その高徳に対して、上野寛永寺の門主が贈った号が「柏寿院上人」でした。

文政7(1824)年10月28日逝去した上人の墓は、金剛寺の山門を入って本堂の左手から裏側に回り、歴代住職の墓地の中央右、先代住職の真新しい墓の隣にあります。120歳でも歯を失わず、言語爽やかで歩く時も腰を曲げず杖も使わなかったという、祐尊さんに学びたいものです。

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