岩間町が東海道保土ヶ谷宿の一町に組み込まれるまで、久保山から瀬戸ケ谷に至る丘陵は、久良岐郡岩間村と言われる地域でした。そして現在岩井町の尾根を通るバス道路周辺は、岩井(間)ヶ原と言われる荒涼とした草原だったそうです。
その頃のお話です。諸国巡礼の親子連れの旅の僧がこの地で日が暮れ、途方に暮れていると、灯りを掲げた老僧が現れて巡礼親子を保土ヶ谷宿の見光寺に案内し、一夜の宿をとらせました。見光寺の住職が話すには、床についたが夢に地蔵様が現れて、岩井ヶ原で道に迷って難渋している親子があるから救いに行くようにとのお告げがあったので、駆けつけたとのこと。巡礼親子は、これからは自分たちのように迷うものが出ないようにと、お礼に私財を出して江戸の方(北)を向いたお地蔵様を建立したとのこと。その後、何かの理由でお地蔵様の向きを変えても、いつの間にか元の北向きに戻っていると言うので土地の人がいつの頃からか、これを「北向地蔵(江戸向地蔵)」と言うようになったそうです。
この地点は、保土ヶ谷宿から石難坂を登り切った四つ角にあり(現在の明倫学園横)、鎌倉への道と金沢への道の分岐点であり、道標(道しるべ)が必要だったことから、この様な挿話を添えて造られたものと思われます。
誹謗中傷動画、再審法改定政府案強行、道理無き衆院...
戦争体験集が完成 保土ケ谷戦争体験集『あの日』B5...
暮らしと営業を守る緊急対策を 国民主権侵す 憲法...
