名所めぐり

旧保土ヶ谷宿本陣

2012年3月13日

02-1

保土ヶ谷駅前から国道1号の保土ヶ谷橋を渡るとすぐの左手に、ブロック塀にはめ込まれた銅板があってここが江戸時代宿場町だった頃の本陣跡であることを示している。

徳川家康によって東海道が定められ、宿場の制度ができると、苅部清兵衛が本陣、問屋、名主の三役を命ぜられた。「本陣」と言うのは大名が宿泊する所の意味で、戦国時代がやっと終わった頃の武士達の感覚が言葉に生きている。

苅部家はその後、江戸時代を通じて三役を勤め通し、明治になって「軽部」の姓に改めた。一貫して行政を担って来たことから貴重な文書が数多く残されており、明治13年に刊行された『保土ヶ谷郷土誌』は、その資料の多くをこの「本陣文書」によっている。今、その資料は開港資料館や県立公文書館にマイクロフィルム化されて、一般にも閲覧できる。

しかし軽部家の土蔵には、まだ誰も見た(研究した)ことのない資料が眠っていると言われ「2010プラン」で約束された「宿場資料館」ができた暁には、より広い区民、市民に知られることになるだろう。

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