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ホームページのデザインを一新

2016年11月23日

この度 日本共産党保土ヶ谷区後援会のホームページはリニューアルいたしました。

多くの方にアクセスいただき ご意見などもいただければ幸いです。

更新の内容は、① タイトルを浮世絵「東海道・保土ヶ谷宿」(横浜市歴史博物館所蔵 歌川広重作 保永堂版)とし保土ヶ谷らしさを強調しました。② 画面表示をスマートフォン、タブレット対応としました。これによりモバイルでアクセスいただいた場合の表示が見やすくなりました。③ FacebookやLINE、TwitterなどのSNSソーシャルボタンを設置しました。「イイね!」などのアクションも出来ます。④ 問い合わせのメールフォームも追加しました。これらは、㈱神奈川機関紙印刷所様のサポートをいただきました。御礼申し上げます。

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◆『東海道五十三次』または『東海道五拾三次』(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、歌川広重による浮世絵木版画の連作

掲げさせていただいた図は保永堂版(1833年 – 1834年)。1832年、東海道を初めて旅した後に作製したといわれている。東海道は、将軍在所の江戸と、天皇在所の京都を結ぶ道で、かつての日本の大動脈であり、江戸時代の主要道路であった五街道の中でも、最も重要な街道であった。五街道は、将軍を中心とした国家支配を強化する目的で、江戸期に整備されたものである。

保永堂版が圧倒的な知名度を誇っているが、東海道五十三次は非常にポピュラーな題材であり、広重作のものだけでも30種あまりの木版画シリーズが作られ、大版・中版など大きさやデザイン、少ないものでは数枚と含まれる宿場数にまで、さまざまな違いがあった。
『東海道五十三次』保永堂版は、広重の作品のうち最もよく知られたものであり、もっともよく売れた浮世絵木版画でもある。葛飾北斎の『富嶽三十六景』シリーズとともに、名勝を写して、浮世絵に名所絵(風景画)のジャンルを確立した。これらの名所絵には西洋の構成表現が取り入れられ、日本風に消化されて、新しい可能性を生み出している。広重の東海道五十三次のシリーズは、日本だけでなく、のちの西洋美術にも影響を与えた。
『東海道五十三次』の最初の版は、保永堂と仙鶴堂とを版元とする共同出版であったが、以降の版は保永堂が単独ですべてを取り仕切った[2]。このスタイルの木版画は通常、それぞれ12 – 16銭で売られた。わらじ1足、あるいはうどん1杯とほぼ同じ値段である[4]。『東海道五十三次』の成功により、広重は江戸期で最も成功し最も有名な浮世絵師となった[5]。(Wikipediaより引用)

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