休憩室

戦争の終わった日・・・ 日本列島は晴れであった

2016年10月14日

後援会ニュース読者からの投稿です。ぜひお読みください。


戦争の終わった日・・・
日本列島は晴れであった

夏目 力

 

「私は死ぬ瞬間まで編集者でありたい」「もう二度と戦争をしない世の中にするために、もう二度とだまされないために、ペンをお取りください」

平和へのこの熱いメッセージは、最近放映を終えたNHK 朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」で、雑誌「あなたの暮らし」花山編集長が読者に語りかけたものです。視聴者の多くが共感を寄せたのではないでしょうか。

この場面のモデルとなった雑誌「暮らしの手帳96 特集:戦争中の暮らしの記録」が、今、手元にあります。「ほどがやの朝」に寄稿したS・Nさんからお借りした貴重な資料です。

巻頭 戦場 と題した7枚の大型写真、東京大空襲の惨状、B29爆撃機から投下された焼夷弾が着弾する前に空中を落下する光跡など実写の写真のみが持つ生々しさがあります。写真上の欄外に叙事詩が静かに訴えています。

〈戦場〉はいつでも海の向こうにあった 海の向こうのずっととおい手のとどかないところにあった・・・いまその海をひきさいて数百数千の爆撃機がここの上空に殺到している――お父さん 少年がそう叫んで 号泣した あちらこちらから 鳴咽の声が漏れた 戦争の終わった日 8月15日――その日 日本列島は 晴れであった

1968年発行のこの特集号には、つぎのような興味深い寄稿文もあります。「父の免職」と題した横浜市在住の岡井敏さんの一文には、地裁判事だった父は昭和19年はじめ東条首相宛に辞職を求める長文の手紙を送ったというのです。その理由は、当時いくつかの小さな島の玉砕、撤退は報ぜられてはいたが、一方で国民の眼をあざむく架空の戦果も発表され、持久戦に耐える方が勝つ、という無責任きわまる政府の態度を憂えたからだというのです。結果は父が裁判にかけられ、懲戒免職の判決。それからのエリート家族の苦難について筆者は一言も語っていません。そして終戦直後のある晩、父はラジオのニュースに注意を向け「今、判事懲戒裁判を取り消すと云っただろう。私のことだよ」と言って笑みを浮かべた。

苛酷な戦争中のさなかでもいぶし銀のような出来事があったとは、この特集号に出会えてよかったとしみじみ感じているところです。

安倍政権のもと、平和、民主主義、人権が大きな危機に直面しているいま、特集号がたたかいに役立つ方法がないか考えてみたいと思います。

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