名所めぐり

五返舎半九の墓(福聚寺)

2012年4月2日

保土ヶ谷駅東口から戸塚方面に進み、岩名坂を登る角を曲がるとすぐ左側の急な階段の上が福聚寺、ここには『東海道中膝栗毛』の作者十返舎一九の弟子・五返舎半九の墓があります。半九は『膝栗毛』で弥次郎賛(弥次さんの人物紹介)を書いた幕末時代の戯作者(大衆作家)で、十編近い作品が記録されています。(岩波新書『國書總目録』)

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江戸の芝に居住して菓子商を営んでいたという半九が何故保土ヶ谷にやって来て、そこに墓が残っているのかは明らかでありませんが、福聚寺に残る過去帳によるとその本名が水野與平治であり、娘のきくが港崎町の妓楼「橋本楼」を経営する、橋本氏の後妻であったことが墓碑に刻まれています。

半九の墓碑は福聚寺本堂の裏手を回り込んだ所、橋本家の墓地の一角にあります。正面には、「歸真五返舎楽半九居士霊」で、明治12年8月の日付もあります。五返舎の後の「楽」について、戒名に詳しい人の話では芸人等・人を楽しませる仕事をしていた者につけるのが常だとか、ユーモア作家半九の墓であることの傍証ではあると思います。半九については先頃、保土ヶ谷区制70周年を記念して出版された『保土ヶ谷区史』に詳しい記述があるので、参考にされるとよいでしょう。

福聚寺にはまた、明治から昭和初期まで近隣に知られた侠客(大親分)半鐘兼の眠る堀井家や、元新国劇のスターで今も活躍する俳優島田正吾の両親の眠る服部家の墓もあります。

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