戦争体験集

戦争体験者のお話を聞く会  主催:九条の会・保土ヶ谷、保土ヶ谷革新懇・保土ヶ谷九条ネットワーク

2019年9月15日

満州からの引き揚げ、最も厳しかったのは餓え 明神台団地 山岸昭枝さん(91歳)

 

8月17日(土)恒例の「戦争体験者のお話を聞く会」が開かれました。前半は「青い目の人形の涙」「ゼロ戦乗りの遺言」の二本のDVDの視聴。後半は、明神台団地の山岸昭枝さん(91才)に満州から命からがら帰還した苦労話を伺いました。 山岸さんは、1940年高等女学校一年生の時、北京に渡りました。1944年ころ戦況の悪化に伴い満州に移りました。終戦直前、ソ連の参戦で牡丹江から撫順へ避難列車で逃げますが、ソ連の機銃掃射にあうと列車は止まり車体の下に隠れます。途中で何本もの軍用列車に追い抜かれます。敵は後ろなのにどうしてだろうと思いながらも「兵隊さん頑張ってー」と手を振りました。後で判ったことですが、 ソ連の不法侵入に備え国境警備に当たるべき日本軍は既に戦意を喪失し、満州も在留日本人も捨てて、敗走するところでした。撫順では、ソ連の襲撃、厳しい寒さ、現地民の暴動などに怯え逃げ回りましたが、最も厳しかったのは飢えだった。収容所の3カ月ほどは、一日に家畜用の高粱(コウリャン)のおむすび一個(朝)とお粥一杯(夜)だけだった。20歳だった姉は大腸カタルで下痢が止まらず、栄養不足もあり亡くなりました。一年ほど撫順での厳しい生活の後 葫蘆島港から舞鶴港に引き上げ船で帰還しました。山岸さんは「戦争は、二度としてはいけない」思いを熱く語ってくださいました。(寄稿:保土ヶ谷革新懇 須藤富男さん)

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